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陀経には念仏に対して諸経を「小善根」ととかる。これらの例、一にあらず。故にまた、彼の経々による人師、皆この義を存せり。これらをもって思うに、宗を立つる方は、我が宗に対して諸経を破するはくるしからざるか。
難じて云わく、華厳経には小乗・大乗・一乗とあげ、密厳経には「一切経の中の王なり」ととかれ、涅槃経には「この諸の大乗」とあげ、阿弥陀経には念仏に対して諸経を「小善根」とはとかれたれども、無量義経のごとく、四十余年と年限を指して、その間の大部の諸経、阿含・方等・般若・華厳等の名をよびあげて勝劣をとけること、これなし。涅槃経の「この諸の大乗」の文ばかりこそ、双林最後の経として「この諸の大乗」ととかれたれば、涅槃経には一切経は嫌わるかとおぼうれども、「この諸の大乗経」と挙げて、次下に諸大乗経を列ねたるに、十二部・修多羅・方等・般若等とあげたり。無量義経・法華経をば載せず。ただし、無量義経に挙ぐるところは、四十余年の阿含・方等・般若・華厳経をあげたり。いまだ法華経・涅槃経の勝劣はみえず。密厳に「一切経の中の王なり」とはあげたれども、一切経をあぐる中に華厳・勝鬘等の諸経の名をあげて「一切経の中の王なり」ととく故に、法華経等とはみえず。阿弥陀経の「小善根」は、時節もなし、小善根の相貌もみえず。たれかしる、小乗経を小善根というか、また人天の善根を小善根というか、また観経・双観経の説くところの諸善を小善根というか。いまだ一代を念仏に対して小善根というとはきこえず。また大日経・六波羅蜜経等の諸の秘教の中にも、一代の一切経を嫌ってその経をほめたる文はなし。
ただし、無量義経ばかりこそ、前四十余年の諸経を嫌い法華経一経に限って、已説の四十余年、今
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(029)顕謗法抄 | 弘長2年(’62) | 41歳 |