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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(005)

開目抄上

 文永9年(ʼ72)2月 51歳 門下一同

 夫れ、一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主・師・親これなり。また習学すべき物三つあり。いわゆる儒・外・内これなり。
 儒家には、三皇・五帝・三王、これらを天尊と号す。諸臣の頭目、万民の橋梁なり。三皇已前は父をしらず、人皆禽獣に同じ。五帝已後は父母を弁えて孝をいたす。いわゆる、重華はかたくなわしき父をうやまい、沛公は帝となって太公を拝す。武王は西伯を木像に造り、丁蘭は母の形をきざめり。これらは孝の手本なり。
 比干は殷の世のほろぶべきを見て、しいて帝をいさめ、頭をはねらる。弘演といいし者は、懿公の肝をとって我が腹をさき肝を入れて死しぬ。これらは忠の手本なり。
 尹寿は尭王の師、務成は舜王の師、太公望は文王の師、老子は孔子の師なり。これらを四聖とごうす。天尊頭をかたぶけ、万民掌をあわす。
 これらの聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり。その所詮は三玄をいでず。三玄とは、一には有の玄、周公等これを立つ。二には無の玄、老子等。三には亦有亦無等、荘子が玄これなり。玄