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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

華経は諸経に勝れたりと思えども、しばらく違して法華経の義を顕さんとおもいて、これをはすることあり。提婆達多・阿闍世王・諸の外道が仏のかたきとなりて仏徳を顕し、後には仏に帰せしがごとし。また実の凡夫が仏のかたきとなりて悪道に堕つることこれ多し。
 されば、諸宗の祖師の中に回心の筆をかかずば、謗法の者、悪道に堕ちたりとしるべし。三論の嘉祥、華厳の澄観、法相の慈恩、東寺の弘法等は、回心の筆これあるか。よくよく尋ねならうべし。
 問うて云わく、まことに今度生死をはなれんとおもわんに、なにものをかいとい、なにものをか願うべきや。
 答う。諸の経文には女人等をいとうべしとみえたれども、双林最後の涅槃経に云わく「菩薩は、この身に無量の過患の具足充満すと見るといえども、涅槃経を受持せんと欲せんがための故に、なおよく将護して乏少ならしめず。菩薩は、悪象等においては心に恐怖なく、悪知識においては怖畏の心を生ず。何をもっての故に。この悪象等はただ能く身を壊るのみにして、心を壊ること能わず、悪知識は二つともに壊るが故に。悪象のごときはただ一身を壊るのみにして、悪知識は無量の身、無量の善心を壊る。悪象に殺されては三趣に至らず、悪友に殺されては必ず三趣に至る」等云々。この経文の心は、後世を願わん人は一切の悪縁を恐るべし、一切の悪縁よりは悪知識をおそるべしとみえたり。
 されば、大荘厳仏の末の四たりの比丘は、自ら悪法を行じて十方の大阿鼻地獄を経るのみならず、六百四万億人の檀那等をも十方の地獄に堕としぬ。鴦崛摩羅は、摩尼跋陀が教えに随って九百九十九人の指をきり、結句、母ならびに仏をがいせんとぎす。善星比丘は、仏の御子、十二部経を受持し、