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に『往生はなきことなり』なんど押し申す。あにおそろしき謗法の者にあらずや」なんど申すは、いかに。
答えて云わく、この料簡は、東土の得一が料簡に似たり。得一が云わく「『未顕真実』とは、決定性の二乗を、仏、爾前の経にして『永く成仏せず』ととかれしを、『未顕真実』とは嫌わるるなり。前四味の一切には亘るべからず」と申しき。伝教大師は、前四味に亘って、文々句々に「未顕真実」と立て給いき。されば、この料簡は古の謗法の者の料簡に似たり。
ただし、しばらく汝等が料簡に随って尋ね明らめん。問う。「法華已前に二乗作仏を嫌いけるを、今『未顕真実』という」とならば、まず決定性の二乗を仏の「永く成仏せず」ととかせ給いし処々の経文ばかりは、「未顕真実」の仏の妄語なりと承伏せさせ給うか。さては仏の妄語は勿論なり。もししからば、妄語の人の申すことは、有無共に用いぬことにてあるぞかし。「決定性の二乗は永く成仏せず」の語ばかり妄語となり、もし余の菩薩・凡夫の往生・成仏等は実語となるべきならば、信用しがたきことなり。譬えば、東方を西方と妄語し申さん人は、西方を東方と申すべし。「二乗は永く成仏せず」と説く仏は、余の菩薩の成仏をゆるすも、また妄語にあらずや。五乗はただ一仏性なり。二乗の仏性をかくし、菩薩・凡夫の仏性をあらわすは、返って菩薩・凡夫の仏性をかくすなり。
ある人云わく「『四十余年にはいまだ真実を顕さず』とは、成仏の道ばかり未顕真実なり。往生等は未顕真実にはあらず」。
また難じて云わく、四十余年が間の説の成仏を「未顕真実」と承伏せさせ給わば、双観経に云う
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(029)顕謗法抄 | 弘長2年(’62) | 41歳 |