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第四昭王の御宇、太史蘇由、記して云わく「一千年の外、声教この土に被らしめん」。聖徳太子、記して云わく「我滅度して後二百余年を経て、山城国に平安城を立つべし」。天台大師、記して云わく「我が滅後二百余年已後、東国に生まれて我が正法を弘めん」等云々。皆、果たして記の文のごとし。日蓮、正嘉の大地震、同じく大風、同じく飢饉、正元元年の大疫等を見て記して云わく「他国よりこの国を破るべき先相なり」と。自讃に似たりといえども、もしこの国土を毀壊せば、また仏法の破滅疑いなきものなり。
しかるに、当世の高僧等、謗法の者と同意の者なり。また自宗の玄底を知らざる者なり。定めて勅宣・御教書を給わってこの凶悪を祈請せんか。仏神いよいよ瞋恚を作し、国土を破壊せんこと疑いなきものなり。日蓮、また対治の方、これを知る。叡山を除いて日本国にはただ一人なり。譬えば、日月の二つ無きがごとし。聖人肩を並べざるが故なり。もしこのこと妄言ならば、日蓮が持つところの法華経守護の十羅刹の治罰、これを蒙らん。
ただひとえに、国のため、法のため、人のためにして、身のためにこれを申さず。また禅門に対面を遂ぐ。故にこれを告ぐ。これを用いざれば、定めて後悔有るべし。恐々謹言。
文永五年太歳戊辰四月五日 日蓮 花押
法鑑御房
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(004)安国論御勘由来 | 文永5年(’68)4月5日 | 47歳 | 法鑑房 |