487ページ
の一日一夜として、この天の寿一万六千歳なり。この天の一万六千歳を一日一夜として、この地獄の寿命一万六千歳なり。
業因を云わば、殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語の上、邪見とて因果なしという者、この中に堕つべし。邪見とは、ある人云わく「人飢えて死ぬれば、天に生まるべし」等云々。総じて、因果をしらぬ者を邪見と申すなり。世間のほうには、慈悲なき者を邪見の者という。当世の人々、この地獄を免れがたきか。
第七に大焦熱地獄とは、焦熱の下にあり。縦広前のごとし。前の六つの地獄の一切の諸苦に十倍して重く受くるなり。その寿命は半中劫なり。
業因を云わば、殺生・偸盗・邪婬・飲酒・妄語・邪見の上に、浄戒の比丘尼をおかせる者、この中に堕つべし。また比丘、酒をもって不邪婬戒を持てる婦女をたぼらかし、あるいは財物をあたえて犯せる者、この中に堕つべし。当世の僧の中に多くこの重罪あるなり。大悲経の文に「末代には士女は多くは天に生じ、僧尼は多くは地獄に堕つべし」ととかれたるは、これていのことか。心あらん人々は、はずべし、はずべし。
総じて、上の七大地獄の業因は、諸経論をもって勘え当世日本国の四衆にあて見るに、この七大地獄をはなるべき人を見ず、またきかず。涅槃経に云わく「末代に入って、人間に生ぜん者は、爪上の土のごとし。三悪道に堕つるものは、十方世界の微塵のごとし」と説かれたり。もししからば、我らが父母・兄弟等の死ぬる人は、皆、上の七大地獄にこそ堕ち給いては候らめ。あさましともいうば
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(029)顕謗法抄 | 弘長2年(’62) | 41歳 |