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(003)
安国論奥書
文永6年(ʼ69)12月8日 48歳
文応元年太歳庚申これを勘う。正嘉にこれを始めてより、文応元年に勘え畢わんぬ。
去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日、戌亥剋の大地震を見てこれを勘う。その後、文応元年太歳庚申七月十六日をもって、宿屋禅門に付して故最明寺入道殿に奉れり。その後、文永元年太歳甲子七月五日、大明星の時、いよいよこの災いの根源を知る。文応元年太歳庚申より文永五年太歳戊辰後正月十八日に至るまで、九箇年を経て、西方の大蒙古国より我が朝を襲うべきの由、牒状これを渡す。また同六年、重ねて牒状これを渡す。既に勘文これに叶う。これに準じてこれを思うに、未来もまたしかるべきか。この書は徴有る文なり。これひとえに日蓮が力にあらず、法華経の真文の至すところの感応か。
文永六年太歳己巳十二月八日、これを写す。
(004)
安国論御勘由来
文永5年(ʼ68)4月5日 47歳 法鑑房
正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥時、前代に超え大いに地振るう。同二年戊午八月一日、大風。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(003)安国論奥書 | 文永6年(’69)12月8日 | 48歳 | |
(004)安国論御勘由来 | 文永5年(’68)4月5日 | 47歳 | 法鑑房 |