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周書異記に云わく「周の昭王二十四年甲寅歳四月八日、江河泉池、忽然として泛漲し、井水、ならびに皆溢れ出ず。宮殿人舎・山川大地、ことごとく震動す。その夜、五色の光気有り。入って太微を貫き、四方に遍して、ことごとく青紅色と作る。昭王、太史蘇由に問うて曰わく『これ何の怪ぞや』。蘇由対えて曰わく『大聖人有り、西方に生まる。故にこの瑞を現ず』。昭王曰わく『天下においていかん』。蘇由曰わく『即時には化無し。一千年の外、声教この土に被及せん』。昭王、即ち人を遣わして、石を鐫ってこれを記し、西郊天祠の前に埋む。穆王五十二年壬申歳二月十五日、平旦に暴風たちまちに起こって、人舎を発損し、樹木を傷折し、山川大地みな震動す。午後、天陰り雲黒し。西方に白虹十二道あり。南北に通過して、連夜滅せず。穆王、太史扈多に問う『これ何の徴ぞや』。対えて曰わく『西方に聖人有り。滅度の衰相現るるのみ』と」已上。
今、これを勘うるに、金光明経に「一切世間のあらゆる善論は、皆この経に因る」と。仏法いまだ漢土に渡らざれば、まず黄帝等、玄女に五常を習う。即ち玄女の五常に源づいて、久遠の仏教を習い、黄帝、国を治めしむ。機いまだ熟さざれば、五戒を説くも、過去・未来を知らず、ただ現在に国を治め、至孝・至忠もて身を立つるばかりなり。余の経文も、もってまたかくのごとし。
また周書異記等は、仏法いまだ真旦に被らざる已前一千余年に、人、西方に仏有ること、これを知る。いかにいわんや、老子は殷の時に生まれ、周の列王の時に有り。孔子また老子の弟子、顔回また孔子の弟子なり。あに、周の第四の昭王、第五の穆王の時、蘇由・扈多記すところの「一千年の外、声教この土に被及せん」の文を知らざらんや。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(024)災難興起由来 | 正元2年(’60)2月上旬 | 39歳 |