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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

しきりに顕れ、下に地妖、まま侵すものなり。
 故に、今の世の変災もまた、国中の上下万人、多分は選択集を信ずるが故なり。弥陀仏より外の他仏・他経において拝信を至す者においては、面を背けて礼儀を至さず、言を吐いて随喜の心無し。故に、国土において、人民、殊に礼儀を破り、道俗、禁戒を犯す。例せば、阮籍に習う者は礼儀を亡ぼし、元嵩に随う者は仏法を破るがごときなり。
 問うて曰わく、何をもってか、これを知る、仏法いまだ漢土に渡らざるより已前の五常は仏教の中の五戒たることを。いかん。
 答えて曰わく、金光明経に云わく「一切世間のあらゆる善論は、皆この経に因る」。法華経に云わく「もし俗間の経書、治世の語言、資生等を説かんも、皆正法に順ぜん」。普賢経に云わく「正法もて国を治め、人民を邪枉せず。これを第三の懺悔を修すと名づく」。涅槃経に云わく「一切世間の外道の経書は、皆これ仏説にして外道の説にあらず」。
 止観に云わく「もし深く世法を識らば、即ちこれ仏法なり」。弘決に云わく「礼楽前に駆せて、真道後に啓く」。
 広釈に云わく「仏、三人を遣わして、しばらく真旦を化す。五常はもって五戒を開くの方なり。昔、大宰、孔子に問うて云わく『三皇五帝は、これ聖人なるか』。孔子答えて云わく『聖人にあらず』。また問う『夫子はこれ聖人なるか』。また答う『あらざるなり』。また問う『もししからば、誰かこれ聖人なる』。答えて云わく『吾聞く、西方に聖有り、釈迦と号す』と」文。