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く涅槃に入るは爪上の土のごとく、人身を捨て已わって三悪の身を得、三悪の身を捨てて三悪の身を得、諸根具せずして辺地に生じ、邪倒の見を信じ、邪道を修習し、解脱・常楽の涅槃を得ざるは十方界のあらゆる地の土のごとし』と」〈已上、経文〉。
この文は、多く法門を集めて一具となせり。人身を捨てて還って人身を受くるは爪上の土のごとく、人身を捨てて三悪道に堕つるは十方の土のごとし。三悪の身を捨てて人身を受くるは爪上の土のごとく、三悪の身を捨てて還って三悪の身を得るは十方の土のごとし。人身を受くるは十方の土のごとく、人身を受けて六根欠けざるは爪上の土のごとし。人身を受けて六根欠けざれども辺地に生ずるは十方の土のごとく、中国に生ずるは爪上の土のごとし。中国に生ずるは十方の土のごとく、仏法に値うは爪上の土のごとし。
また云わく「一闡提と作らず、善根を断ぜず、かくのごとき等の涅槃経典を信ずるは、爪上の土のごとし乃至一闡提と作って、諸の善根を断じ、この経を信ぜざる者は、十方界のあらゆる地の土のごとし」〈已上、経文〉。この文のごとくんば、法華・涅槃を信ぜずして一闡提と作るは十方の土のごとく、法華・涅槃を信ずるは爪上の土のごとし。この経文を見て、いよいよ感涙押さえ難し。
今、日本国の諸人を見聞するに、多分は権教を行ず。たとい身・口には実教を行ずといえども、心にはまた権教を存す。故に、天台大師、摩訶止観の五に云わく「その癡鈍なる者は、毒気深く入って本心を失うが故に、既にそれ信ぜざれば、則ち手に入らず乃至大罪聚の人なり乃至たとい世を厭う者も下劣の乗を翫び、枝葉に攀附し、狗の作務に狎れ、獼猴を敬って帝釈となし、瓦礫を崇めてこれ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |