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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

わんぬ。故に、正嘉元年に大地大いに震い、同二年に春の大雨苗を失い、夏の大旱魃草木を枯らし、秋の大風菓実を失い、飢渇たちまちに起こって万民をして逃脱せしむること、金光明経の文のごとし。あに選択集の失にあらずや。仏語虚しからざるが故に、悪法の流布有って、既に国に三災起これり。しかるに、この悪義を対治せずんば、仏の説くところの三悪を脱るべけんや。
 しかるに、近年より、予、「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」の文を瞻るあいだ、雪山・常啼の心を起こし、命を大乗の流布に替え、強言を吐いて云わく「選択集を信じて後世を願わんの人は、無間地獄に堕つべし」。その時法然上人の門弟、選択集における上に出だすところの悪義を隠し、あるいは諸行往生と立て、あるいは選択集において法華・真言等を破らざる由を称し、あるいは在俗において選択集の邪義を知らしめざらんがために、妄語を構えて云わく「日蓮は、念仏を称うる人は三悪道に堕ちんと云う」。
 問うて云わく、法然上人の門弟、諸行往生を立つるに失有りや否や。
 答えて曰わく、法然上人の門弟と称して諸行往生を立つるは、逆路伽耶陀の者なり。当世もまた、諸行往生の義を立て、しかも内心には一向に念仏往生の義を存し、外には諸行不謗の由を聞かしむるなり。そもそも、この義を立つる者は、選択集の法華・真言等において失を付けし捨閉閣抛・群賊・邪見・悪見・邪雑人・千中無一等の語を見ざるや否や。
 第二に、正しく謗法の人の王地に処るをば対治すべき証文を出ださば、
 涅槃経第三に云わく「懈怠にして戒を破し正法を毀る者をば、王者・大臣・四部の衆は応当に苦治