415ページ
ん。ただ我らのみこの王を捨棄するにあらず、また無量の国土を守護する諸大善神有らんも、みな捨て去らん。既に捨離し已われば、その国、当に種々の災禍有って国位を喪失すべし。一切の人衆、皆善心無く、ただ繫縛・殺害・瞋諍のみ有って、たがいに讒諂し、枉げて辜無きに及ぼさん。疫病流行し、彗星しばしば出で、両日並び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表し、星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨・悪風、時節に依らず、常に飢饉に遭って苗実成らず、多く他方の怨賊有って国内を侵掠し、人民は諸の苦悩を受け、土地に楽しむところの処有ることなけん」已上。
この経文を見るに、世間の安穏を祈るとも国に三災起こるは、悪法流布する故なりと知るべし。しかるに、当世は随分国土の安穏を祈るといえども、去ぬる正嘉元年には大地大いに動き、同二年に大雨・大風苗実を失えり。定めて国を喪ぼす悪法この国に有るかと勘うるなり。
選択集のある段に云わく「第一に読誦雑行とは、上の観経等の往生浄土の経を除いてより已外、大小・顕密の諸経において受持・読誦するを、ことごとく読誦雑行と名づく」と書き了わって、次に書いて云わく「次に二行の得失を判ずれば、法華・真言等の雑行は失、浄土三部経は得なり」。次下に善導和尚の往生礼讃の「十即十生、百即百生」「千中無一」の文を書き載せて云わく「私に云わく、この文を見るに、いよいよすべからく雑を捨てて専を修すべし。あに百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者能くこれを思量せよ」已上。これらの文を見るに、世間の道俗あに諸経を信ずべけんや。
次下にまた書いて、法華経等の雑行と念仏の正行との勝劣難易を定めて云わく「一には勝劣の義、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |