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ねてこれを定む。この義に順ずる人師をばしばらくこれを仰ぎ、この義に順ぜざる人師をばしばらくこれを用いず。あえて自義をもって是非を定むるにあらず、ただ相違を出だすばかりなり。
大文の第四に、謗法の者を対治すべき証文を出ださば、これに二つ有り。一には仏法をもって国王・大臣ならびに四衆に付嘱することを明かし、二には正しく謗法の人の王地に処るをば対治すべき証文を明かす。
第一に、仏法をもって国王・大臣ならびに四衆に付嘱することを明かさば、
仁王経に云わく「仏、波斯匿王に告げたまわく乃至この故に諸の国王に付嘱して、比丘・比丘尼・清信男・清信女に付嘱せず。何をもっての故に。王の威力無きが故に乃至この経の三宝をば、諸の国王・四部の弟子に付嘱す」已上。大集経二十八に云わく「もし国王有って、我が法の滅せんを見て、捨てて擁護せずんば、無量世において施・戒・慧を修すとも、ことごとく滅失して、その国三種の不祥の事を出ださん乃至命終して、大地獄に生ぜん」已上。
仁王経の文のごとくんば、仏法をもってまず国王に付嘱し、次に四衆に及ぼす。王位に居る君、国を治むる臣は、仏法をもって先となし国を治むべきなり。大集経の文のごとくんば、王臣等、仏道のために無量劫の間、頭目等の施を施し八万の戒行を持ち無量の仏法を学ぶといえども、国に流布するところの法の邪正を直さざれば、国中に大風・旱魃・大雨の三災起こって万民をして逃脱せしめ、王臣定めて三悪に堕ちん。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |