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ただし往生要集は、一往序文を見る時は、法華・真言等をもって顕密の内に入れてほとんど末代の機に叶わずと書くといえども、文に入って委細に一部三巻の始末を見るに、第十の問答料簡の下に正しく諸行の勝劣を定むる時、観仏三昧・般舟三昧・十住毘婆沙論・宝積・大集等の爾前の経論を引いて、一切の万行に対して念仏三昧をもって王三昧と立て了わんぬ。最後に一つの問答有り。爾前の禅定・念仏三昧をもって法華経の一念信解に対するに、百千万億倍劣ると定む。復問を通ずる時、念仏三昧を万行に勝ると云うは爾前の当分なりと云々。
当に知るべし、恵心の意は往生要集を造って末代の愚機を調えて法華経に入れんがためなり。例せば、仏の四十余年の経をもって権機を調えて法華経に入れたもうがごとし。故に、最後に一乗要決を造る。その序に云わく「諸乗の権実は古来の諍いなり。ともに経論に拠って互いに是非を執す。余、寛弘丙午歳の冬十月、病中に歎いて曰わく、仏法に遇うといえども、仏意を了せず。もし終に手を空しゅうせば、後悔何ぞ追わん。ここに経論の文義、賢哲の章疏、あるいは人をして尋ねしめ、あるいは自ら思択し、全く自宗・他宗の偏党を捨てて専ら権智・実智の深奥を探るに、ついに一乗真実の理、五乗方便の説を得る者なり。既に今生の蒙を開けば、何ぞ夕死の恨みを遺さん」已上。この序の意はひとえに恵心の本意を顕すなり。自宗・他宗の偏党を捨つる時、浄土の法門を捨てざらんや。一乗真実の理を得る時、専ら法華経に依るにあらずや。
源信僧都は永観二年甲申の冬十一月、往生要集を造り、寛弘二年丙午の冬十月の比、一乗要決を作る。その中間二十余年なり。権を先にし実を後にす。あたかも仏のごとく、また竜樹・天親・天台等
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |