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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 問うて曰わく、証文いかん。
 答えて曰わく、十の証文有り。法華経に云わく「ただ楽って大乗経典を受持するのみにして、乃至、余経の一偈をも受けざれ」〈これ一〉。
 涅槃経に云わく「了義経に依って不了義経に依らざれ」〈四十余年をば不了義経と云う〉〈これ二〉。
 法華経に云わく「この経は持ち難し。もししばらくも持たば、我は即ち歓喜す。諸仏もまたしかなり。かくのごときの人は、諸仏の歎めたもうところなり。これは則ち勇猛なり。これは則ち精進なり。これを戒を持ち、頭陀を行ずる者と名づく」〈末代においては、四十余年の持戒無し。ただ法華経を持つを持戒となす〉〈これ三〉。
 涅槃経に云わく「乗において緩なる者は乃ち名づけて緩となす。戒において緩なる者は名づけて緩となさず。菩薩摩訶薩よ。この大乗において心懈慢せずんば、これを奉戒と名づく。正法を護らんがために、大乗の水をもって自ら澡浴す。この故に、菩薩は破戒を現ずといえども、名づけて緩となさず」〈この文は、法華経の戒を流通する文なり〉〈これ四〉。
 法華経第四に云わく「妙法華経乃至皆これ真実なり」〈この文は、多宝の証明なり〉〈これ五〉。
 法華経第八の普賢菩薩の誓いに云わく「如来滅して後において、閻浮提の内に、広く流布せしめて、断絶せざらしめん」〈これ六〉。
 法華経第七に云わく「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に断絶せしむることなけん」〈釈迦如来の誓いなり〉〈これ七〉。