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答えて曰わく、法華経の序品に云わく「諸の菩薩のために、大乗経の、無量義と名づけ、菩薩を教うる法にして、仏の護念したもうところを説きたもう。仏はこの経を説き已わって、結跏趺坐し、無量義処三昧に入りたもう」。
問うて曰わく、法華経の後に、いずれの経を説きたもうや。
答えて曰わく、普賢経を説きたもうなり。
問うて曰わく、何をもってこれを知るや。
答えて曰わく、普賢経に云わく「却って後三月あって、我は当に般涅槃すべし乃至如来は昔、耆闍崛山、および余の住処において、すでに広く一実の道を分別せしかども、今この処において」。
問うて曰わく、普賢経の後に、いずれの経を説きたもうや。
答えて曰わく、涅槃経を説きたもうなり。
問うて曰わく、何をもってこれを知るや。
答えて曰わく、普賢経に云わく「却って後三月あって、我は当に般涅槃すべし」。涅槃経三十に云わく「如来は、何が故ぞ二月に涅槃したもうや」。また云わく「如来は初生・出家・成道・転妙法輪、皆八日をもってしたもう。何ぞ仏の涅槃独り十五日なるや」。
大部の経、大概かくのごとし。これより已外の諸の大小乗経は次第不定なり。あるいは阿含経より已後に華厳経を説き、法華経より已後に方等・般若を説く。皆、義類をもってこれを収めて一処に置くべし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |