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を明かし、五には善知識ならびに真実の法には値い難きことを明かし、六には法華・涅槃に依る行者の用心を明かし、七には問いに随って答うることを明かす。
大文の第一に、如来の経教において権実二教を定むることを明かさば、これにおいて四つ有り。一には大部の経の次第を出だして流類を摂むることを明かし、二には諸経の浅深を明かし、三には大小乗を定むることを明かし、四にはしばらく権を捨てて実に就くべきことを明かす。
第一に、大部の経の次第を出だして流類を摂むることを明かさば、
問うて云わく、仏は最初にいかなる経を説きたもうや。
答えて云わく、華厳経なり。
問うて云わく、その証いかん。
答えて云わく、六十華厳経の離世間浄眼品に云わく「かくのごときを我聞きき。一時、仏、摩竭提国寂滅道場に在して、始めて正覚を成ず」。
法華経の序品に、放光瑞の時、弥勒菩薩、十方世界の諸仏の五時の次第を見る時、文殊師利菩薩に問うて云わく「また諸仏・聖主師子、経典の微妙第一なるを演説したまいて、その声は清浄に、柔軟の音を出だして、諸の菩薩を教えたもうこと、無数億万なるを睹る」。また方便品に仏自ら初成道の時を説いて云わく「我は始め道場に坐し、樹を観じまた経行す乃至その時に諸の梵王および諸の天帝釈、護世の四天王および大自在天、ならびに余の諸の天衆、眷属百千万は、恭敬・合掌し礼して、我
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |