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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(023)

守護国家論

 正元元年(ʼ59) 38歳

 夫れ以んみれば、たまたま十方微塵の三悪の身を脱れて、希に閻浮日本の爪上の生を受く。また閻浮日域の爪上の生を捨てて十方微塵の三悪の身を受けんこと、疑いなきものなり。しかるに、生を捨てて悪趣に堕つる縁は一つにあらず。あるいは妻子・眷属の哀憐により、あるいは殺生・悪逆の重業により、あるいは国主と成って民衆の歎きを知らざるにより、あるいは法の邪正を知らざるにより、あるいは悪師を信ずるによる。この中において、世間の善悪は眼前に在り。愚人もこれを弁うべし。仏法の邪正、師の善悪においては、証果の聖人すら、なおこれを知らず。いわんや末代の凡夫においてをや。
 しかのみならず、仏日西山に隠れ余光東域を照らしてより已来、四依の慧灯は日に減じ、三蔵の法流は月に濁る。実教に迷える論師は真理の月に雲を副え、権経に執する訳者は実経の珠を砕いて権経の石と成す。いかにいわんや、震旦の人師の宗義、その誤り無からんや。いかにいわんや、日本辺土の末学、誤りは多く実は少なきものか。したがって、その教えを学する人、数は竜鱗よりも多けれども、得道の者は麟角よりも希なり。あるいは権教に依るが故に、あるいは時機不相応の教えに依るが