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ては、感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ。その門弟、隆寛・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流せられ、その後いまだ御勘気を許されず。あに「いまだ勘状を進らせず」と云わんや。
客則ち和らいで曰わく、経を下し僧を謗ずること、一人には論じ難し。しかれども、大乗経六百三十七部二千八百八十三巻、ならびに一切の諸の仏菩薩および諸の世天等をもって、捨閉閣抛の四字に載す。その詞勿論なり、その文顕然なり。この瑕瑾を守ってその誹謗を成せども、迷って言うか、覚って語るか、賢愚弁ぜず、是非定め難し。
ただし、災難の起こりは選択に因るの由、その詞を盛んにし、いよいよその旨を談ず。詮ずるところ、天下泰平・国土安穏は君臣の楽うところ、土民の思うところなり。夫れ、国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば、仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。まず国家を祈って、すべからく仏法を立つべし。もし災いを消し難を止むるに術有らば、聞かんと欲す。
主人曰わく、余はこれ頑愚にしてあえて賢を存せず。ただ経文に就いていささか所存を述べん。そもそも治術の旨、内外の間、その文幾多ぞや。つぶさに挙ぐべきこと難し。ただし、仏道に入ってしばしば愚案を廻らすに、謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば、国中安穏にして天下泰平ならん。
即ち、涅槃経に云わく「仏言わく『ただ一人のみを除いて余の一切に施さば、皆、讃歎すべし』。純陀問うて言わく『いかなるをか名づけて、ただ一人のみを除くとなす』。仏言わく『この経の中に説くところのごときは破戒なり』。純陀また言わく『我今いまだ解せず。ただ願わくはこれを説きたまえ』。仏、純陀に語って言わく『破戒とは、一闡提を謂う。その余のあらゆる一切に布施するは、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(002)立正安国論 | 文応元年(’60)7月16日 | 39歳 | 北条時頼 |