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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

衆生顚倒して仏法にあらずと謂えり」と釈せり。しからば則ち、自他・依正・魔界仏界・染浄・因果は異なれども、ことごとく皆諸仏の法身に乖くことにあらざれば、善星比丘が不信なりしも楞伽王の信心に同じく、般若蜜外道が意の邪見なりしも須達長者が正見に異ならず。即ち知んぬ、この法身の本は衆生の当体なり。十方諸仏の行願は、実に法身を証するなり。
 次に報身とは、大師云わく「法如々の智、如々真実の道に乗じ、来って妙覚を成ず。智、如の理に称う。理に従って『如』と名づけ、智に従って『来』と名づく。即ち報身如来なり。盧舎那と名づけ、ここには浄満と翻ず」と釈せり。これは如々法性の智、如々真実の道に乗じて、妙覚究竟の理智、法界と冥合したる時、理を如と名づく。智は来なり。

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十如是事

 正嘉2年(ʼ58) 37歳

 我が身が三身即一の本覚の如来にてありけることを、今経に説いて云わく「如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」文。
 初めに「如是相」とは、我が身の色形に顕れたる相を云うなり。これを応身如来とも、または解脱