SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

「天台大師の後身」云々。よって、天台の経蔵の所釈は、遺り無く日本に亘りしなり。天台大師の御自筆の観音経、章安大師の自筆の止観、今比叡山の根本中堂に収めたり。
          一、自性   自力    迦毘羅外道
          二、他性   他力    漚楼僧伽外道
    四性計   三、共性   共力    勒娑婆外道
          四、無因性  無因力   自然外道
 外道に三人あり。一には仏法外の外道〈九十五種の外道〉、二に附仏法の外道〈小乗〉、三には学仏法成の外道〈妙法を知らざる大乗の外道なり〉。
 今の法華経は、自力も定めて自力にあらず。十界の一切衆生を具する自なるが故に。我が身に本より、自の仏界、一切衆生の他の仏界、我が身に具せり。されば、今、仏に成るに、新仏にあらず。また他力も定めて他力にあらず。他仏も我ら凡夫の自ら具せるが故に。また他仏が我らがごとくの自に現同するなり。共と無因は略す。
 法華経已前の諸経は、十界互具を明かさざれば、仏に成らんと願うには必ず九界を厭う。九界を仏界に具せざるが故なり。されば、必ず悪を滅し煩悩を断じて仏には成ると談ず。凡夫の身を仏に具すと云わざるが故に。されば、人天・悪人の身をば失って仏に成ると申す。これをば、妙楽大師は厭離断九の仏と名づく。されば、爾前の経の人々は、仏の九界の形を現すは、ただ仏の不思議の神変と思い、仏の身に九界が本よりありて現ずるとは云わず。