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る。仏もまた因位に居して菩薩界に摂められ、妙覚ながら等覚なり。薬草喩品に声聞を説いて云わく「汝等が行ずるところは、これ菩薩の道なり」。また我ら六度をも行ぜざるが六度満足の菩薩なる文。経に云わく「いまだ六波羅蜜を修行することを得ずといえども、六波羅蜜は自然に在前す」。我ら一戒をも受けざるが持戒の者と云わるる文。経に云わく「これは則ち勇猛なり。これは則ち精進なり。これを戒を持ち、頭陀を行ずる者と名づく」文。
問うて云わく、諸経にも、悪人の仏に成るは、華厳経の調達の授記、普超経の闍王の授記、大集経の婆藪天子の授記。また女人の仏に成るは、胎経の釈・女の成仏。畜生の仏に成るは、阿含経の鴿雀の授記。二乗の仏に成るは、方等だらに経、首楞厳経等なり。菩薩の仏に成るは、華厳経等。具縛の凡夫の往生は、観経の下品下生等。女人の女身を転ずるは、双観経の四十八願の中の三十五の願。これらは法華経の二乗・竜女・提婆・菩薩の授記にいかなるかわりめかある。また、たといかわりめはありとも、諸経にても成仏はうたがいなし、いかん。
答う。予の習い伝うるところの法門、この答えに顕るべし。この答えに、法華経の諸経に超過し、また諸経の成仏を許し許さずは聞こうべし。秘蔵の故に顕露に書かず。
問うて曰わく、妙法を一念三千と云うこと、いかん。
答えて曰わく、天台大師、この法門を覚り給いて後、玄義十巻・文句十巻・覚意三昧・小止観・浄名疏・四念処・次第禅門等の多くの法門を説き給いしかども、この一念三千をば談義し給わず。ただ十界・百界・千如の法門ばかりにておわしまししなり。御年五十七の夏四月の比、荊州の玉泉寺と申す
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(017)一代聖教大意 | 正嘉2年(’58)2月14日 | 37歳 |