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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

奘三蔵・慈恩法師等、方等部の内に上生経・下生経・成仏経・深密経・解深密経・瑜伽論・唯識論等の経論に依って立てたり。三論宗と申す宗は、般若経・百論・中論・十二門論・大論等の経論に依って、吉蔵大師立て給えり。
 華厳宗と申すは、華厳と法華・涅槃は同じく円教と立つ。余は皆劣ると云うなるべし。法相宗には、深密・解深密経と華厳・般若・法華・涅槃は同じ程の経と云う。三論宗とは、般若経と華厳・法華・涅槃は同じ程の経なり、ただし、法相の依経と諸の小乗経とは劣るなりと立つ。
 これらは、皆、法華已前の諸経に依って立てたる宗なり。爾前の円を極として立てたる宗どもなり。宗々の人々の諍いは有れども、経々に依って勝劣を判ぜん時は、いかにも法華経は勝れたるべきなり。人師の釈をもって勝劣を論ずることなし。
 五には、法華経と申すは、開経には無量義経〈一巻〉、法華経八巻、結経には普賢経〈一巻〉。上の四教・四時の経論を書き挙ぐることは、この法華経を知らんがためなり。法華経の習いとしては、前の諸経を習わずしては永く心を得ることなきなり。爾前の諸経は、一経一経を習うに、また余経を沙汰せざれども苦しからず。故に、天台の御釈に云わく「もし余経を弘むるには、教相を明かさざれども、義において傷うことなし。もし法華を弘むるには、教相を明かさずんば、文義闕くることあり」文。法華経に云わく「種々の道を示すといえども、それ実には仏乗のためなり」文。「種々の道」と申すは、爾前の一切諸経なり。「仏乗のため」とは、法華経のために一切の経をば説くと申す文なり。
 問う。諸経のごときは、あるいは菩薩のため、あるいは人・天のため、あるいは声聞・縁覚のため、