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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 よって、伝教・義真・慈覚・智証等、あるいは万里の波濤を渉って渡せしところの聖教、あるいは一朝の山川を廻って崇むるところの仏像、もしは高山の巓に華界を建てて、もって安置し、もしは深谷の底に蓮宮を起てて、もって崇重す。釈迦・薬師の光を並ぶるや、威を現当に施し、虚空・地蔵の化を成すや、益を生後に被らしむ。故に、国主は郡郷を寄せて、もって灯燭を明るくし、地頭は田園を充てて、もって供養に備う。しかるに、法然の選択に依って、則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、付嘱を抛って東方の如来を閣き、ただ四巻三部の経典のみを専らにして空しく一代五時の妙典を抛つ。ここをもって、弥陀の堂にあらざれば皆供仏の志を止め、念仏の者にあらざれば早く施僧の懐いを忘る。故に、仏堂零落して瓦松の煙老い、僧房荒廃して庭草の露深し。しかりといえども、各護惜の心を捨て、ならびに建立の思いを廃す。ここをもって、住持の聖僧行って帰らず、守護の善神去って来ることなし。これひとえに法然の選択に依るなり。
 悲しいかな、数十年の間、百千万の人、魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり。謗を好んで正を忘る。善神怒りをなさざらんや。円を捨てて偏を好む。悪鬼便りを得ざらんや。
 しかず、彼の万祈を修せんよりは、この一凶を禁ぜんには。
 客殊に色を作して曰わく、我が本師・釈迦文、浄土三部経を説きたまいてより以来、曇鸞法師は四論の講説を捨てて一向に浄土に帰し、道綽禅師は涅槃の広業を閣いてひとえに西方の行を弘め、善導和尚は雑行を抛って専修を立て、恵心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一行を宗とす。弥陀を貴重すること、誠にもってしかなり。また往生の人、それいくばくぞや。