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問う。汝が弟子、一分の解無くして、ただ一口南無妙法蓮華経と称うるものは、その位いかん。
答う。この人は、ただ四味三教の極位ならびに爾前の円人に超過するのみにあらず、はたまた真言等の諸宗の元祖、畏・儼・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍なり。
請う、国中の諸人、我が末弟等を軽んずることなかれ。進んで過去を尋ぬれば、八十万億劫供養せし大菩薩なり。あに熙連一恒の者にあらずや。退いて未来を論ずれば、八十年の布施に超過して五十の功徳を備うべし。天子の襁褓に纏われ、大竜の始めて生ずるがごとし。蔑如することなかれ、蔑如することなかれ。
妙楽云わく「もし悩乱する者は頭七分に破れ、供養することあらん者は福十号に過ぐ」。優陀延王は賓豆盧尊者を蔑如して七年の内に身を喪失し、相州は日蓮を流罪して百日の内に兵乱に遇えり。経に云わく「もしまたこの経典を受持せん者を見て、その過悪を出ださば、もしは実にもあれ、もしは不実にもあれ、この人は現世に白癩の病を得ん乃至諸の悪重病あるべし」。また云わく「当に世々に眼無かるべし」等云々。明心と円智とは現に白癩を得、道阿弥は無眼の者と成りぬ。国中の疫病は「頭七分に破る」なり。罰をもって徳を惟うに、我が門人等は「福十号に過ぐ」疑いなきものなり。
夫れ、人王三十代欽明の御宇に始めて仏法渡りしより以来、桓武の御宇に至るまで、二十代二百余年の間、六宗有りといえども、仏法いまだ定まらず。ここに、延暦年中に一りの聖人有って、この国に出現せり。いわゆる伝教大師これなり。この人、先より弘通せる六宗を糾明して七寺を弟子となし、ついに叡山を建てて本寺となし、諸寺を取って末寺となす。日本の仏法ただ一門のみなり。王法も二
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(012)四信五品抄 | 建治3年(’77)4月10日 | 56歳 | 富木常忍 |