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誡めて云わく「末法の中に持戒の者有らば、これ怪異なり。市に虎有るがごとし。これ誰か信ずべき」云々。
問う。汝、何ぞ、一念三千の観門を勧進せず、ただ題目ばかりを唱えしむるや。
答えて曰わく、日本の二字に六十六国を摂め尽くして、人・畜・財一つも残らず。月氏の両字にあに七十箇国無からんや。妙楽云わく「略して経題を挙ぐるに、玄に一部を収む」。また云わく「略して界・如を挙ぐるに、つぶさに三千を摂む」。文殊師利菩薩・阿難尊者、三会八年の間の仏語、これを挙げて妙法蓮華経と題し、次下に領解して云わく「かくのごときを我聞きき」云々。
問う。その義を知らざる人、ただ南無妙法蓮華経とのみ唱うるに、義を解する功徳を具うや不や。
答う。小児、乳を含むに、その味を知らざれども自然に身を益す。耆婆が妙薬、誰か弁えてこれを服せん。水心無けれども火を消す。火物を焼くに、あに覚り有らんや。竜樹・天台皆この意なり。重ねて示すべし。
問う。何が故ぞ題目に万法を含むや。
答う。章安云わく「けだし、序王とは経の玄意を叙ぶ。経の玄意は文の心を述ぶ。文の心は迹本に過ぎたるはなし」。妙楽云わく「法華の文の心を出だして諸教の所以を弁ず」云々。濁水心無けれども、月を得て自ずから清めり。草木雨を得るに、あに覚り有って花かんや。妙法蓮華経の五字は、経文にあらず、その義にあらず、ただ一部の意なるのみ。初心の行者、その心を知らざれども、しかもこれを行ずるに、自然に意に当たるなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(012)四信五品抄 | 建治3年(’77)4月10日 | 56歳 | 富木常忍 |