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と、真言師には仰せ付けらるべからず。もし大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいでこの国ほろぶべし」と申せしかば、頼綱問うて云わく「いつごろか、よせ候べき」。予、言わく「経文にはいつとはみえ候わねども、天の御けしきいかりすくなからず。きゅうに見えて候。よも今年はすごし候わじ」と語りたりき。
この三つの大事は日蓮が申したるにはあらず。ただひとえに、釈迦如来の御神、我が身に入りかわらせ給いけるにや。我が身ながらも悦び身にあまる。法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり。経に云わく「いわゆる諸法の如是相」と申すは何事ぞ。十如是の始めの相如是が第一の大事にて候えば、仏は世にいでさせ給う。「智人は起をしる。蛇はみずから蛇をしる」とは、これなり。
衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は、これよりほかに、またもとむることなかれ。
問うて云わく、第二の文永八年九月十二日の御勘気の時は、いかにとして、我をそんぜば自他のいくさおこるべしとはしり給うや。
答う。大集経五十に云わく「もしまた、諸の刹利国王にして諸の非法を作し、世尊の声聞の弟子を悩乱し、もしはもって毀罵し、刀杖もて打斫し、および衣鉢・種々の資具を奪い、もしは他の給施に留難を作す者有らば、我らは彼をして自然に卒かに他方の怨敵を起こさしめ、および自界の国土に
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |