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漢土の三階禅師云わく「教主釈尊の法華経は第一・第二階の正像の法門なり。末代のためには我がつくれる普経なり。法華経を今の世に行ぜん者は十方の大阿鼻獄に堕つべし。末法の根機にあたらざるゆえなり」と申して、六時の礼懺、四時の坐禅、生身の仏のごとくなりしかば、人多く尊んで弟子万余人ありしかども、わずかの小女の法華経をよみしにせめられて、当坐には音を失い、後には大蛇になりて、そこばくの檀那・弟子ならびに小女・処女等をのみ食らいしなり。今の善導・法然等が千中無一の悪義もこれにて候なり。
これらの三大事はすでに久しくなり候えば、いやしむべきにはあらねども、申さば信ずる人もやありなん。
これよりも百千万億倍信じがたき最大の悪事はんべり。慈覚大師は伝教大師の第三の御弟子なり。しかれども、上一人より下万民にいたるまで、伝教大師には勝れておわします人なりとおもえり。この人、真言宗と法華宗の奥義を極めさせ給いて候が、「真言は法華経に勝れたり」とかかせ給えり。しかるを、叡山三千人の大衆、日本一州の学者等、一同帰伏の宗義なり。弘法の門人等は、大師の法華経を華厳経に劣るとかかせ給えるは我がかたながらも少し強きようなれども、慈覚大師の釈をもっておもうに、真言宗の法華経に勝れたることは一定なり。日本国にして真言宗を法華経に勝ると立つるをば叡山こそ強がたきなりぬべかりつるに、慈覚をもって三千人の口をふさぎなば、真言宗はおもうごとし。されば、東寺第一のかとうど、慈覚大師にはすぐべからず。
例せば、浄土宗・禅宗は余国にてはひろまるとも、日本国にしては延暦寺のゆるされなからんには
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |