かかる僻見の末なれば、彼の伝法院の本願とごうする正覚房が舎利講の式に云わく「尊高なるものは不二摩訶衍の仏なり。驢牛の三身は車を扶くること能わず。秘奥なるものは両部曼陀羅の教えなり。顕乗の四法は履を採るに堪えず」と云々。「顕乗の四法」と申すは法相・三論・華厳・法華の四人、「驢牛の三身」と申すは法華・華厳・般若・深密経の教主の四仏、これらの仏僧は、真言師に対すれば正覚・弘法の牛飼い・履物取者にもたらぬほどのことなりとかいて候。
彼の月氏の大慢婆羅門は生知の博学。顕密二道胸にうかべ、内外の典籍掌ににぎる。されば、王臣頭をかたぶけ、万民師範と仰ぐ。あまりの慢心に「世間に尊崇するものは大自在天・婆藪天・那羅延天・大覚世尊、この四聖なり。我が座の四足にせん」と、座の足につくりて坐して法門を申しけり。当時の真言師が釈迦仏等の一切の仏をかきあつめて、灌頂する時、敷まんだらとするがごとし。禅宗の法師等が云わく「この宗は仏の頂をふむ大法なり」というがごとし。しかるを、賢愛論師と申せし小僧あり。彼をただすべきよし申せしかども、王臣万民これをもちいず。結句は大慢が弟子等・檀那等に申しつけて、無量の妄語をかまえて悪口・打擲せしかども、すこしも命もおしまずののしりしかば、帝王、賢愛をにくみてつめさせんとし給いしほどに、かえりて大慢がせめられたりしかば、大王、天に仰ぎ地に伏してなげいてのたまわく「朕は、まのあたりこのことをきいて邪見をはらしぬ。先王は、いかにこの者にたぼらかされて阿鼻地獄におわすらん」と、賢愛論師の御足にとりつきて悲涙せさせ給いしかば、賢愛の御計らいとして大慢を驢にのせて五竺に面をさらし給いければ、いよいよ悪心盛んになりて現身に無間地獄に堕ちぬ。今の世の真言と禅宗等とはこれにかわれりや。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |