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等の経宗等は、上根・上智の正像二千年の機のためなり。末法に入っては、いかに功をなして行ずるともその益あるべからず。その上、弥陀念仏にまじえて行ずるならば、念仏も往生すべからず。これ、わたくしに申すにはあらず。竜樹菩薩・曇鸞法師は『難行道』となづけ、道綽は『いまだ一人も得る者有らず』ときらい、善導は『千の中に一りも無し』となづけたり。これらは他宗なれば御不審もあるべし。恵心の先徳にすぎさせ給える天台・真言の智者は、末代におわすべきか。かれ往生要集にかかれたり。『顕密の教法は予が死生をはなるべき法にはあらず』と。また三論の永観が十因等をみよ。されば、法華・真言等をすてて一向に念仏せば『十は即ち十生じ、百は即ち百生ず』なり」とすすめければ、叡山・東寺・園城・七寺等、始めは諍論するようなれども、往生要集の序の詞、道理かとみえければ、顕真座主落ちさせ給いて法然が弟子となる。
その上、たとい法然が弟子とならぬ人々も、弥陀念仏は他仏ににるべくもなく口ずさみとし、心よせにおもいければ、日本国皆一同に法然房の弟子と見えけり。この五十年が間、一天四海、一人もなく法然が弟子となる。法然が弟子となりぬれば、日本国一人もなく謗法の者となりぬ。譬えば、千人の子が一同に一人の親を殺害せば、千人共に五逆の者なり。一人阿鼻に堕ちなば、余人堕ちざるべしや。結句は、法然、流罪をあだみて悪霊となって、我ならびに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入って、あるいは謀反をおこし、あるいは悪事をなして、皆、関東にほろぼされぬ。わずかにのこれる叡山・東寺等の諸僧は、俗男・俗女にあなずらるること、猿猴の人にわらわれ、俘囚が童子に蔑如せらるるがごとし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |