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寺・七寺・園城、あるいは官主、あるいは御室、あるいは長吏、あるいは検校なり。かの内侍所の神鏡燼灰となししかども大日如来の宝印を仏鏡とたのみ、宝剣大海に入りしかども五大尊をもって国敵を切らんと思えり。これらの堅固の心は、たとい劫石はひすらぐとも、かたぶくべしとはみえず。大地は反覆すとも、疑心おこりがたし。彼の天台大師の南北をせめ給いし時も、この宗いまだわたらず。この伝教大師の六宗をしえたげ給いし時ももれぬ。かたがたの強敵をまぬかれて、かえって大法をかすめ失う。その上、伝教大師の御弟子・慈覚大師、この宗をとりたてて、叡山の天台宗をかすめおとして一向真言宗になししかば、この人には誰の人か敵をなすべき。かかる僻見のたよりをえて、弘法大師の邪義をもとがむる人もなし。安然和尚すこし弘法を難ぜんとせしかども、ただ華厳宗のところばかりとがむるににて、かえって法華経をば大日経に対して沈めはてぬ。ただ世間のたて入りの者のごとし。
問うて云わく、この三宗の謬誤、いかん。
答えて云わく、浄土宗は斉の世に曇鸞法師と申す者あり。本は三論宗の人。竜樹菩薩の十住毘婆沙論を見て、難行道・易行道を立てたり。道綽禅師という者あり。唐の世の者。本は涅槃経をこうじけるが、曇鸞法師が浄土にうつる筆を見て、涅槃経をすてて浄土にうつって、聖道・浄土の二門を立てたり。また道綽が弟子、善導という者あり。雑行・正行を立つ。
日本国に、末法に入って二百余年、後鳥羽院の御宇に法然というものあり。一切の道俗をすすめて云わく「仏法は時機を本とす。法華経・大日経、天台・真言等の八宗・九宗、一代の大小・顕密・権実
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |