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われぬ。また天台智者大師の弘通し給わざる円頓の大戒を伝教大師の建立せさせ給うこと、また顕然なり。
ただし、詮と不審なることは、仏は説き尽くし給えども、仏の滅後に迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親、乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深秘の正法、経文の面に現前なり。この深法、今、末法の始め五の五百歳に一閻浮提に広宣流布すべきやのこと、不審極まりなきなり。
問う。いかなる秘法ぞ。まず名をきき、次に義をきかんとおもう。このこともし実事ならば、釈尊の二度世に出現し給うか、上行菩薩の重ねて涌出せるか。いそぎいそぎ慈悲をたれられよ。彼の玄奘三蔵は六生を経て月氏に入って十九年、法華一乗は方便教、小乗阿含経は真実教。不空三蔵は身毒に返って寿量品を阿弥陀仏とかかれたり。これらは東を西という。日を月とあやまてり。身を苦しめてなにかせん。心に染めてようなし。幸いに我ら末法に生まれて、一歩をあゆまずして三祇をこえ、頭を虎にかわずして無見頂相をえん。
答えて云わく、この法門を申さんことは、経文に候えばやすかるべし。ただし、この法門にはまず三つの大事あり。大海は広けれども死骸をとどめず。大地は厚けれども不孝の者をば載せず。仏法には五逆をたすけ不孝をばすくう。ただし、誹謗一闡提の者、持戒にして大智なるをばゆるされず。
この三つのわざわいとは、いわゆる念仏宗と禅宗と真言宗となり。
一には、念仏宗は日本国に充満して四衆の口あそびとす。二に、禅宗は三衣一鉢の大慢の比丘の四海に充満して一天の明導とおもえり。三に、真言宗はまた彼らの二宗にはにるべくもなし。叡山・東
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |