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こそ、一切の訳人の経々は軽くなりて、羅什三蔵の訳し給える経々、殊に法華経は、漢土にはやすやすとひろまり候いしか。
疑って云わく、羅什已前はしかるべし。已後の善無畏・不空等は、いかん。
答えて云わく、已後なりとも、訳者の舌の焼くるをば、誤りありけりとしるべし。されば、日本国に法相宗のはやりたりしを伝教大師責めさせ給いしには、「羅什三蔵は舌焼けず。玄奘・慈恩は舌焼けぬ」とせめさせ給いしかば、桓武天皇は道理とおぼして、天台法華宗へはうつらせ給いしなり。
涅槃経の第三・第九等をみまいらすれば、「我が仏法は月支より他国へわたらんの時、多くの謬誤出来して衆生の得道うすかるべし」ととかれて候。されば、妙楽大師は「ならびに進退は人に在り。何ぞ聖旨に関わらん」とこそあそばされて候え。今の人々、いかに経のままに後世をねがうとも、あやまれる経々のままにねがわば、得道もあるべからず。しかればとても仏の御とがにはあらじとかかれて候。仏教を習う法には、大小・権実・顕密はさておく、これこそ第一の大事にては候らめ。
疑って云わく、正法一千年の論師の、内心には法華経の実義の顕密の諸経に超過してあるよしはしろしめしながら、外には宣説せずしてただ権大乗ばかりを宣べさせ給うことは、しかるべしとはおぼえねども、その義はすこしきこえ候いぬ。像法一千年の半ばに天台智者大師出現して、題目の妙法蓮華経の五字を玄義十巻一千枚にかきつくし、文句十巻には始め「かくのごときを我聞きき」より終わり「礼を作して去りにき」にいたるまで、一字一句に因縁・約教・本迹・観心の四つの釈をならべて、また一千枚に尽くし給う。已上、玄義・文句の二十巻には、一切経の心を江河として法華経を大海に
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |