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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 疑って云わく、天竺に残る論の中に、わたれる論よりも勝れたる論やあるらん。
 答えて云わく、竜樹菩薩のことは私に申すべからず。仏記し給う。「我が滅後に竜樹菩薩と申す人、南天竺に出ずべし。彼の人の所詮は中論という論に有るべし」と。仏記し給うに随って、竜樹菩薩の流れ天竺に七十家あり。七十人ともに大論師なり。彼の七十家の人々は、皆、中論を本とす。中論四巻二十七品の肝心は「因縁もて生ずるところの法」の四句の偈なり。この四句の偈は華厳・般若等の四教・三諦の法門なり。いまだ法華開会の三諦をば宣べ給わず。
 疑って云わく、汝がごとくに料簡せる人ありや。
 答えて云わく、天台云わく「中論をもって相比することなかれ」。また云わく「天親・竜樹、内に鑑みるに泠然にして、外には時の宜しきに適う」等云々。妙楽云わく「もし破会を論ぜば、いまだ法華にしかざるが故に」云々。従義云わく「竜樹・天親、いまだ天台にしかず」云々。
 問うて云わく、唐の末に不空三蔵、一巻の論をわたす。その名を菩提心論となづく。竜猛菩薩の造なり云々。弘法大師云わく「この論は竜猛千部の中の第一肝心の論」と云々。
 答えて云わく、この論、一部七丁あり。竜猛の言ならぬこと、処々に多し。故に、目録にも、あるいは竜猛、あるいは不空と両方なり。いまだ事定まらず。その上、この論文は一代を括れる論にもあらず。荒量なることこれ多し。まず「唯真言の法の中にのみ」の肝心の文あやまりなり。その故は、文証・現証ある法華経の即身成仏をばなきになして、文証も現証もあとかたもなき真言経に即身成仏を立てて候。また「唯」という「唯」の一字は第一のあやまりなり。事のていを見るに、不空三蔵