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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

通せしむるのみならず、円頓の大戒場を叡山に建立して日本一州皆同じく円戒の地になして、上一人より下万民まで延暦寺を師範と仰がせ給うは、あに像法の時、法華経の広宣流布にあらずや。
 答えて云わく、如来の教法は必ず機に随うということは、世間の学者の存知なり。しかれども、仏の教えはしからず。上根・上智の人のために必ず大法を説くならば、初成道の時なんぞ法華経をとかせ給わざる。正法の先の五百余年に大乗経を弘通すべし。有縁の人に大法を説かせ給うならば、浄飯大王・摩耶夫人に観仏三昧経・摩耶経をとくべからず。無縁の悪人・謗法の者に秘法をあたえずば、覚徳比丘は無量の破戒の者に涅槃経をさずくべからず。不軽菩薩は誹謗の四衆に向かって、いかに法華経をば流通せさせ給いしぞ。されば、機に随って法を説くと申すは、大いなる僻見なり。
 問うて云わく、竜樹・世親等は法華経の実義をば宣べ給わずや。
 答えて云わく、宣べ給わず。
 問うて云わく、いかなる教えをかのべ給いし。
 答えて云わく、華厳・方等・般若・大日経等の権大乗、顕密の諸経をのべさせ給いて、法華経の法門をば宣べさせ給わず。
 問うて云わく、何をもってこれをしるや。
 答えて云わく、竜樹菩薩の造るところの論、三十万偈。しかれども、尽くして漢土・日本にわたらざれば、その心しりがたしといえども、漢土にわたれる十住毘婆沙論・中論・大論等をもって天竺の論をも比知してこれを知るなり。