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経・華厳経・涅槃経・般若経等に法華経はすぐれて候なり」と申す者をこそ、経文には法華経の行者とはとかれて候え。もし経文のごとくならば、日本国に仏法わたって七百余年、伝教大師と日蓮とが外は一人も法華経の行者はなきぞかし。
いかにいかにとおもうところに、「頭破れて七分に作る」「口は則ち閉塞せん」のなかりけるは、道理にて候いけるなり。これらは浅き罰なり。ただ一人二人等のことなり。日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。これをそしり、これをあだむ人を結構せん人は、閻浮第一の大難にあうべし。これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり。
これらをみよ。仏滅度の後、仏法を行ずる者にあだをなすといえども、今のごとくの大難は一度もなきなり。南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし。この徳は、たれか一天に眼を合わせ、四海に肩をならぶべきや。
疑って云わく、たとい正法の時は仏の在世に対すれば根機劣なりとも、像・末に対すれば最上の上機なり。いかでか正法の始めに法華経をば用いざるべき。したがって、馬鳴・竜樹・提婆・無著等も正法一千年の内にこそ出現せさせ給え。天親菩薩は千部の論師、法華論を造って諸経の中に第一の義を存す。真諦三蔵の相伝に云わく「月支に法華経を弘通せる家、五十余家。天親はその一なり」。已上、正法なり。
像法に入っては、天台大師像法の半ばに漢土に出現して、玄と文と止との三十巻を造って、法華経の淵底を極めたり。像法の末に伝教大師日本に出現して、天台大師の円慧・円定の二法を我が朝に弘
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |