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求めて云わく、いかなる故にか宣べ給わざるや。
答えて云わく、多くの故あり。一には彼の時には機なし。二には時なし。三には迹化なれば付嘱せられ給わず。
求めて云わく、願わくは、このこと、よくよくきかんとおもう。
答えて云わく、夫れ、仏の滅後二月十六日よりは正法の始めなり。迦葉尊者、仏の付嘱をうけて二十年。次に阿難尊者二十年。次に商那和修二十年。次に優婆崛多二十年。次に提多迦二十年。已上一百年が間は、ただ小乗経の法門をのみ弘通して、諸大乗経は名字もなし。いかにいわんや、法華経をひろむべしや。次には弥遮迦・仏陀難提・仏駄蜜多・脇比丘・富那奢等の四・五人。前の五百余年が間は大乗経の法門少々出来せしかども、とりたてて弘通し給わず。ただ小乗経を面としてやみぬ。已上、大集経の先の五百年、解脱堅固の時なり。
正法の後の六百年已後一千年が前、その中間に馬鳴菩薩・毘羅尊者・竜樹菩薩・提婆菩薩・羅睺尊者・僧佉難提・僧佉耶奢・鳩摩羅駄・闍夜那・盤陀・摩奴羅・鶴勒夜那・師子等の十余人の人々、始めには外道の家に入り、次には小乗経をきわめ、後には諸大乗経をもって諸小乗経をさんざんに破し失い給いき。これらの大士等は、諸大乗経をもって諸小乗経をば破せさせ給いしかども、諸大乗経と法華経の勝劣をば分明にかかせ給わず。たとい勝劣をすこしかかせ給いたるようなれども、本迹の十妙、二乗作仏、久遠実成、已今当の妙、百界千如・一念三千の肝要の法門は分明ならず。ただ、あるいは指をもって月をさすがごとくし、あるいは文にあたりてひとはしばかりかかせ給いて、化導の始終・
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |