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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(009)

撰時抄

 建治元年(ʼ75) 54歳 西山由比殿

    釈子日蓮述ぶ。
 夫れ、仏法を学せん法は、必ずまず時をならうべし。過去の大通智勝仏は出世し給いて十小劫が間一経も説き給わず。経に云わく「一たび坐して十小劫」。また云わく「仏は時いまだ至らずと知ろしめして、請を受けて黙然として坐したまえり」等云々。今の教主釈尊は四十余年のほど法華経を説き給わず。経に云わく「説時のいまだ至らざるが故なり」と云々。老子は母の胎に処して八十年、弥勒菩薩は兜率の内院に籠もらせ給いて五十六億七千万歳をまち給うべし。彼の時鳥は春をおくり、鶏鳥は暁をまつ。畜生すら、なおかくのごとし。いかにいわんや、仏法を修行せんに時を糾さざるべしや。
 寂滅道場の砌には、十方の諸仏示現し、一切の大菩薩集会し給い、梵帝・四天は衣をひるがえし、竜神八部は掌を合わせ、凡夫大根性の者は耳をそばだて、生身得忍の諸の菩薩・解脱月等請をなし給いしかども、世尊は二乗作仏・久遠実成をば名字をかくし、即身成仏・一念三千の肝心、その義を宣べ給わず。これらはひとえにこれ、機は有りしかども時の来らざれば、のべさせ給わず。経に云わく「説時のいまだ至らざるが故なり」等云々。