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了義経・不了義経も多く候。阿含の小乗経は不了義経、華厳・方等・般若・浄土の観経等は了義経。また、四十余年の諸経を法華経に対すれば不了義経、法華経は了義経。涅槃経を法華経に対すれば、法華経は了義経、涅槃経は不了義経。大日経を法華経に対すれば、大日経は不了義経、法華経は了義経なり。故に、四十余年の諸経ならびに涅槃経を打ち捨てさせ給いて、法華経を師匠と御憑み候え。法華経をば、国王・父母、日月・大海・須弥山・天地のごとくおぼしめせ。諸経をば、関白・大臣・公卿乃至万民、衆星・江河・諸山・草木等のごとくおぼしめすべし。
我らが身は、末代造悪の愚者、鈍者、法器にあらざるの者。国王は臣下よりも人をたすくる人、父母は他人よりも子をあわれむ者、日月は衆星より暗を照らす者、法華経は機に叶わずんば、いわんや余経は助け難しとおぼしめせ。また釈迦如来と阿弥陀如来・薬師如来・多宝仏・観音・勢至・普賢・文殊等の一切の諸の仏菩薩は我らが慈悲の父母、この仏菩薩の衆生を教化する慈悲の極理はただ法華経にのみとどまれりとおぼしめせ。諸経は悪人・愚者・鈍者・女人・根欠等の者を救う秘術をば、いまだ説き顕さずとおぼしめせ。法華経の一切経に勝れ候故は、ただこのことに侍り。
しかるを、当世の学者、法華経をば一切経に勝れたりと讃めて、しかも末代の機に叶わずと申すを皆信ずること、あに謗法の人に侍らずや。ただ一口におぼしめし切らせ給い候え。詮ずるところ、法華経の文字を破りさきなんどせんには、法華経の心やぶるべからず。また世間の悪業に対して云いうとむるとも、人々用いるべからず。ただ、相似たる権経の義理をもって云いうとむるにこそ、人はたぼらかさるれとおぼしめすべし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(001)唱法華題目抄 | 文応元年(’60)5月28日 | 39歳 |