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そみえたるを、法然いたわしともおもわで、末法には法華経の門を堅く閉じて人を入れじとせき、狂児をたぼらかして宝をすてさするように、法華経を抛てさせける心こそ無慙に見え候え。我が父母を人の殺さんに、父母につげざるべしや。悪子の酔狂して父母を殺すを、せいせざるべしや。悪人、寺塔に火を放たんに、せいせざるべしや。一子の重病を灸せざるべしや。日本の禅と念仏者とを見てせいせざるものは、かくのごとし。「慈無くして詐り親しむは、これ彼が怨なり」等云々。
日蓮は日本国の諸人にしゅうし父母なり。
一切の天台宗の人は彼らが大怨敵なり。「彼がために悪を除くは、即ちこれ彼が親なり」等云々。無道心の者、生死をはなるることはなきなり。
教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い、天台大師の南北ならびに得一に「三寸の舌もて五尺の身をたつ」と、伝教大師の南京の諸人に「最澄いまだ唐都を見ず」等といわれさせ給いし、皆、法華経のゆえなればはじならず。愚人にほめられたるは第一のはじなり。日蓮が御勘気をかぼれば、天台真言の法師等、悦ばしくやおもうらん。かつはむざんなり、かつはきかいなり。
夫れ、釈尊は娑婆に入り、羅什は秦に入り、伝教は尸那に入り、提婆・師子は身をすつ。薬王は臂をやく。上宮は手の皮をはぐ。釈迦菩薩は肉をうる。楽法は骨を筆とす。天台云わく「時に適うのみ」等云々。仏法は時によるべし。日蓮が流罪は今生の小苦なればなげかしからず。後生には大楽をうくべければ大いに悦ばし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |