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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

れ折の義なり。与奪途を殊にすといえども、ともに利益せしむ」等云々。
 弘決に云わく「『夫れ、仏に両説あり』等とは○『大経に刀杖を執持す』とは、第三に云わく『正法を護る者は、五戒を受けず、威儀を修せず』○『乃至』より下の文は、仙予国王等の文なり。また『新医禁めて云わく、もしさらになすことあらば、当にその首を断つべし』と、かくのごとき等の文、ならびにこれ破法の人を折伏す。一切の経論この二つを出でず」等云々。
 文句に云わく「問う。大経には、国王に親付し弓を持し箭を帯し悪人を摧伏せよと明かす。この経は、『豪勢を遠離し、謙下し慈善せよ』と。剛柔碩いに乖けり。いかんぞ異ならざらん。答う。大経はひとえに折伏を論ずれども、『一子地に住す』と。何ぞかつて摂受無からん。この経はひとえに摂受を明かせども、『頭破れて七分に作る』と。折伏無きにあらず。各一端を挙げて、時に適うのみ」等云々。
 涅槃経の疏に云わく「出家・在家、法を護らんには、その元心の所為を取り、事を棄て理を存して大教を匡け弘む。故に『正法を護持せんには』と言う。小節に拘らず。故に『威儀を修せず』と言う○昔の時は平らかにして法弘まる。応に戒を持つべし。杖を持つことなかれ。今の時は嶮にして法翳くる。応に杖を持つべし。戒を持つことなかれ。今昔ともに嶮ならば、応にともに杖を持つべし。今昔ともに平らかならば、応にともに戒を持つべし。取捨宜しきを得て、一向にすべからず」等云々。
 汝が不審をば、世間の学者、多分は道理とおもう。いかに諫暁すれども、日蓮が弟子等もこのおもいをすてず。一闡提人のごとくなるゆえに、まず天台・妙楽等の釈をいだして、かれが邪難をふせぐ。
 夫れ、摂受・折伏と申す法門は、水火のごとし。火は水をいとう。水は火をにくむ。摂受の者は折