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この経典を受持せん者を見て、その過悪を出ださば、もしは実にもあれ、もしは不実にもあれ、この人は現世に白癩の病を得ん」等云々。
答えて云わく、汝が疑い大いに吉し。ついでに不審を晴らさん。不軽品に云わく「悪口・罵詈」等。また云わく「あるいは杖木・瓦石をもって、これを打擲す」等云々。涅槃経に云わく「もしは殺し、もしは害せん」等云々。法華経に云わく「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し」等云々。
仏は小指を提婆にやぶられ、九横の大難に値い給う。これは法華経の行者にあらずや。不軽菩薩は一乗の行者といわれまじきか。目連は竹杖に殺さる。法華経記別の後なり。付法蔵の第十四の提婆菩薩、第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ。これらは法華経の行者にはあらざるか。竺の道生は蘇山に流されぬ。法道は火印を面にやいて江南にうつさる。北野天神、白居易これらは法華経の行者ならざるか。
事の心を案ずるに、前生に法華経誹謗の罪なきもの今生に法華経を行ず、これを世間の失によせ、あるいは罪なきをあだすれば、たちまちに現罰あるか。修羅が帝釈をいる、金翅鳥の阿耨池に入る等、必ず返って一時に損ずるがごとし。天台云わく「今の我が疾苦は皆過去に由る。今生の修福は報、将来に在り」等云々。心地観経に云わく「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ」等云々。不軽品に云わく「その罪は畢え已わって」等云々。不軽菩薩は、過去に法華経を謗じ給う罪身に有るゆえに、瓦石をかぼるとみえたり。
また、順次生に必ず地獄に堕つべき者は、重罪を造るとも現罰なし。一闡提人これなり。涅槃経に
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |