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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

く「しかして後、末世に」。また云わく「しかして後来の末世に」等云々。添品法華経に云わく等。
 天台云わく「像法の中、南三北七は法華経の怨敵なり」。伝教云わく「像法の末、南都六宗の学者は法華の怨敵なり」等云々。彼らの時は、いまだ分明ならず。
 これは、教主釈尊・多宝仏、宝塔の中に日月の並ぶがごとく、十方分身の諸仏、樹下に星を列ねたりし中にして、正法一千年・像法一千年、二千年すぎて末法の始めに法華経の怨敵三類あるべしと八十万億那由他の諸の菩薩の定め給いし、虚妄となるべしや。当世は如来の滅後二千二百余年なり。大地は指さばはずるとも、春は花はさかずとも、三類の敵人必ず日本国にあるべし。さるにては、たれたれの人々か三類の内なるらん、また誰人か法華経の行者なりとさされたるらん、おぼつかなし。彼の三類の怨敵に我ら入りてやあるらん、また法華経の行者の内にてやあるらん、おぼつかなし。
 周の第四昭王の御宇二十四年甲寅四月八日の夜中に、天に五色の光気南北に亘って昼のごとし。大地六種に震動し、雨ふらずして江河・井池の水まさり、一切の草木に花さき菓なりたりけり。不思議なりしことなり。昭王大いに驚き、太史蘇由占って云わく「西方に聖人生まれたり」。昭王問うて云わく「この国いかん」。答えて云わく「事なし。一千年の後に、彼の聖言この国にわたって衆生を利すべし」。彼のわずかの外典の、一毫もいまだ見思を断ぜざる者、しかれども一千年のことをしる。はたして、仏教、一千一十五年と申せし後漢の第二明帝の永平十年丁卯年、仏法漢土にわたる。
 これは似るべくもなき釈迦・多宝・十方分身の仏の御前の諸の菩薩の未来記なり。当世日本国に三類の法華経の敵人なかるべしや。