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好んで我らが過を出ださん○常に大衆の中に在って我らを毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士および余の比丘衆に向かって、誹謗して我が悪を説いて『これ邪見の人、外道の論議を説く』と謂わん○濁劫悪世の中には、多く諸の恐怖有らん。悪鬼はその身に入って、我を罵詈・毀辱せん○濁世の悪比丘は、仏の方便、宜しきに随って説きたもうところの法を知らず、悪口して顰蹙し、しばしば擯出せられん」等云々。
記の八に云わく「文に三つあり。初めに一行は通じて邪人を明かす。即ち俗衆なり。次に一行は道門増上慢の者を明かす。三に七行は僭聖増上慢の者を明かす。この三つの中、初めは忍ぶべし。次は前に過ぐ。第三は最も甚だし。後々の者は転た識り難きをもっての故に」等云々。東春に智度法師云わく「初めに『諸の』より下の五行は○第一に一偈は三業の悪を忍ぶ。これ外の悪人なり。次に『悪世』より下の一偈は、これ上慢の出家の人なり。第三に『あるいは阿練若に』より下の三偈は、即ちこれ出家の処に一切の悪人を摂む」等云々。また云わく「『常に大衆の中に在って』より下の両行は、公処に向かって法を毀り人を謗ず」等云々。
涅槃経の九に云わく「善男子よ。一闡提有って、羅漢の像を作して空処に住し、方等大乗経典を誹謗す。諸の凡夫人見已わって、皆『真の阿羅漢にして、これ大菩薩なり』と謂わん」等云々。また云わく「その時、この経、閻浮提において当に広く流布すべし。この時、当に諸の悪比丘有って、この経を抄略し、分かちて多分と作し、能く正法の色香美味を滅すべし。この諸の悪人、またかくのごとき経典を読誦すといえども、如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾・無義の語を安置す。前
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |